「餓鬼な立花」が地味にブームかもしれません。
ていうか16歳と14歳は充分子供だろ…!
※作中のカトリックの教義に関しての部分は、あくまで物語的な要素として扱っております。宗教的・思想的な主張は一切ございません。
起きているか、という声は、夜更けにしては随分とはっきりした響きだった。
そろそろ来るかと思っていた矢先だったので、宗茂は躊躇いもなく、その深夜の客人を招きいれた。
「蚊に食われるぞ、早く来い」
言うや否や、その客人-誾千代は、この蒸し暑さでは当然だろう、透けるように薄い夜着一枚で蚊帳を払って現れた。
同齢の少女たちからすれば、ずっと上背のあるその立ち姿は、宗茂がすでに行灯を消し、床に臥しているのに安心したかのように息を吐き、すたすたと宗茂の横に腰を下ろしたかと思うと、木綿の上掛けを奪い取るように引っぺがし、自身もそれに包まりながら、ぽすり、と布団に突っ伏した。
随分と警戒心の無い、というか、自分と彼女の夫婦という公的関係性を考慮すれば、まあ当然とも思えるその行為は、しかし本人の自覚のなさによって全く艶めいた気配を消しており、あえて言うなら子供が一人寝を心細く思って親の寝所に忍んでくるような、子猫が嵐の夜に母猫の腹に身を寄せるような、そんな無邪気さである。
そういった気がない証拠に、自分との距離がちょうど半人分くらい、空いている。
もっと寄ればいいのにと、布団の寸法との兼ね合いと、いくばくかの下心で思わぬでもない宗茂だったが、より暑っ苦しくなって体力を使っては明日の政務に差し障りが出る、貴様は馬鹿か、と言われるのが関の山なので、経験則上、宗茂はその類のことを口にしないことにしていた。
全くこの、夫婦になってそろそろ一年になろうかという少女-その背の高さと物言いでちっともそうは見えないが、自分より二つ下、御年十四である-の口の達者さといったら、大の大人でもたじろぐほどなのだ。
その誾千代は、それでもよく見れば年相応の、しかも贔屓目なしでも見目の良いと言える綺麗な顔を、ひどく憮然とした表情で台無しにしていた。
「まだ納得していないのか」
宗茂から向かって右側に横になった誾千代にあわせ、右半身を下になるようにして、ちょっと体を起こす。
最近、それと分かるほどに身長に差が現れはじめた自分と誾千代は、視線を合わそうとすると、互いに少し工夫する必要が出てきた。
横になっていてもそれは同じで、ちょっと頷くように首を下げると、ちょうど良い塩梅だった。
不貞腐れるように床に伏した格好で、むっと眉を顰めながら目線を上げる誾千代は多分、見下されるのが面白くないのだろう。そうはいっても、これが現実なのだからしょうがない。
ただあえて言うまでもなく、この不機嫌の理由は、身長とは別のところにある。
「適当にいなされたようで、落ち着かん」
「だろうな」
昼方、宣教師が来訪した。
豊後の大殿からの使いということだったが、あからさまに義父はいい顔をしなかった。
近年の本国の不安定さの一つの要因として、この異国の教義に大殿が傾倒しているからだというのは、義父からの話だけでなく、大小問わず、あちこちから聞こえる有名な話だ。
勿論、正式な使いともなれば義父は丁重に扱ったが、要件を済ませたならさっさと退出しろと言わんばかりの雰囲気は、歴戦の兵でも存分に気圧されたであろうものだった。
傍に控えていた宗茂ですら、むやみに背筋を正してしまったほどである。
しかし、相手もさるもの。
やたら人好きのする笑顔を絶やさぬ宣教師は、大殿から聞いていたのだろう、家督を若い娘夫婦へと譲ったと聞いた、ぜひ祝福したいと、大殿の目録付きの土産とともに話を持ち出したのに対して、苦虫を二・三匹噛み潰したような表情で、畏れ多いことでござる、とそれでも返した義父の姿は、さすが忠義の鑑であった。
それはさておき、宣教師はその笑顔のまま、自分と誾千代の前で説教を始めたのだ。
-曰く、愛について。
それからが実に、見ものだった。
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開け放した板戸からは、満月より少し欠けた月明かりが煌々と注ぐ。
四隅に張り巡らされた蚊帳は、その光を幾分か和らいだものにして、宗茂の寝所を薄明かりで満たしていた。
「お前、全然納得していなかったからな」
「当たり前だ」
宣教師は、大層驚いたに違いない。
何せ、彼の奉じる主の説くところの「愛」から敷衍して、若夫婦を寿ごうとしたそばから、当のこの、多少大柄ではあるものの、見た目は幼さを充分に残す姫君が真っ向から教義を論破しにかかったのだから。
-貴様が先より言う、愛とは何か。
-漠然としすてぎる。具体例を示せ。
-夫婦のみならず、人間同士であれば自然に解するものだというが、それはいかなる経験によって得られた考えか。
-それほど普遍かつ偉大なるものであれば、なぜ我々は貴様に言われるまで知らなかったのか。
-貴様の教えを理解すれば分かるものなのか。
-そういった差があることは、愛とかいうものの普遍性を、既に否定してはいないのか。
同席していた家臣たちの目を驚愕に開かせ、次に慌てさせ、最後には義父も含めて諦念を滲ませる表情にさせた-つまり「気の済むようにさせよう」という暗黙の了解-彼女のその妥協を許さぬ断固とした態度は、実に見ものだった。
誾千代は、適当なことが嫌いだ。
詩的な表現とか、抽象的な解釈とかいうのも、彼女の中ではそういった「適当」という括りに入るらしく、その手の話題になると、驚くほど融通が利かない。
そういった言動には、決して悪意からではなしに、その矛盾であったり曖昧な部分であったりを指摘し明確にせずにはいられない、そういう性分なのだ。
しかしやはり、遥か異国より主の教えゆえに訪れたという宣教師は、さるものであった。
誾千代の言葉の攻撃に、やはり最初は驚き、しかし底の見えない笑顔のまま、整然と言い返したのである。
曰く、主の教えは、どのような時、どのような場にあっても、あまねく存在するものであり、それはただ単に、その存在に気がつく、気がつかない、という違いがあるだけのことである。
曰く、主は人の子でもあるゆえに、その遺された言葉は経験として我らにも息づくものである。
曰く、その言葉は実現され、また還元され、日々の糧として実践されて形となる。
曰く、愛とは、限られた感情や経験によって得られるものではない普遍のものであるため、あえて主は明言なさらない。
曰く、それゆえ愛は滅びず、また尊いものである。
-というわけで、概ね宣教師に言い負かされた形になった誾千代は、彼が退席してからというもの、沈黙を通しつづけていたのだった。
普段からそうおしゃべりというわけでもないのだが、夕餉の時分になっても押し黙ったままの誾千代に、侍女たちはさぞ気が立ってらっしゃるに違いないと、わずかばかり及び腰になっていたのを思い出す。
しかし宗茂は、彼女達とはちょっと違う推論を立てていた。
誾千代は単に、怒っているというよりは、納得していないだけだ。
となれば、今夜は起きていたほうがよさそうだなと、余していた読み物をして時間を潰し、さてどうかな、と横になったところでの、先のお出ましである。
やっぱりな、と思える程度に、実はこの手は頻繁に起こる。
それは、二人して机を並べて義父より受ける、軍学や政の講義においての疑問だったり、兵法の訓練で宗茂にたやすく一本を取られた時だったり、侍女に薦められた源氏物語を読んだときだったり、とにかく納得がいかないとなれば、誾千代はその不満を解決するべく、宗茂という相手を掴まえては語りたがるのだ。
城主たるべしと育てられた誾千代にとって、同年輩の友人というものが自分という夫以外にいないという、少しばかり気の毒な事実を加味しても、自分はそれなりに信頼されているのだ、という証左であったから、そのこと自身は、宗茂はむしろ歓迎していた。
が、あまりくどくどと物事にこだわるというのは、誾千代が考える「立花家の当主」というものには相応しくないようで、家臣たちの目に付かないようにしようととか、そんな思いがあるのだろうか。
日中はそんなそぶりを全く見せず、代わりに普段は別々に休んでいる夫の寝所に、わざわざ夜半になってもぐりこんでくるのを選ぶというのは、あまりにもあまりな世間知らずぶりである。
しかし、その手の気遣いがおかしな方向に向かいがちなのも誾千代らしいと、さも平然と受け入れてしまえた宗茂も、実は大したことが言える義理ではない。
とまれ、時々二人して、こういう風に夜を過ごすことがある。
それは全く、周囲の大人たちが想像するような、または望むような夫婦然としたものではなかったが、宗茂は結構気に入っていた。
誾千代もそうだといい、というのは、楽観的すぎる願望の域を出なかったが。
「よくあれほどいい加減な教えで、信徒がつくものだ」
「いい加減ではないな。適用範囲が広いということだ」
「私には全くだぞ」
「それはそうだ」
誾千代を心の底から納得させられるのは、結局は誾千代だけなのだろう。
それを分かっているだけで、宗茂は充分な誾千代の理解者といえた。初めて会ってから十年余り、その年月は伊達ではない。
「第一、”でうす”というのは、随分と不親切なやつだ」
そもそも、誾千代にかかれば、異国の神すらこの扱いである。宗茂は思わず噴出した。
己の発言を茶化されたと思ったのだろう、誾千代はぶすりとした面持ちで続ける。
「そうであろう?細かい解釈は後の世の人間に任せるなどとは、言いだしっぺのくせに不親切だ」
弟子達もさぞ苦労したであろうと、まるで家臣たちを労うように言う誾千代の言い分は、なるほど確かに筋が通っているように思えるが。
「”でうす”だって人間なのさ。宣教師だってそう言っていただろう?」
不機嫌さを宥めるように、左手で額に張り付いていたままの前髪を掻き揚げてやりながらそう問うと、気持ちが良いのだろうか、誾千代はうん、と小さな声を一つ上げた。
猫のように目を細め、己の掌を受け入れるがままの誾千代を、可愛いな、と宗茂は思う。
こめかみから額、癖の強い、女としては随分と短く切りそろえられた髪の生え際、それらをゆっくりと撫ぜてやりながら、一言ずつ言い含めるように宗茂は言葉を繋げる。
「思ったこと全てを、余さず遺し伝えられるほど、人間は単純じゃない」
「…そんなものだろうか」
やはり理解に苦しむと、誾千代は口を尖らせる。そういうのも少し、可愛いと思う。
「誾千代みたいに、何でも口や手に出せる人間の方が少ないってことだ」
「何だそれは。お前だってそんなものだろう」
「さて、どうかな」
自分で言っておいて、さて、どうなのだろうなと反芻してみる。
誾千代ほどに直截にものが言えるか、行動におこせるかと問われれば、それは否である。
彼女以上に率直な人格というものに、宗茂は自分を含め、出会ったことが無い。
なるほど、竹を割ったような誾千代の性格では、余白のある言い回しや、多様な解釈をあえて与えるような表現は、理解に苦しむものなのだろう。
しかしそれはあくまで彼女の思考方法の中での話であって、多くの人間は、そこまで整った考え方をしているわけではない。
人は多く、迷いもすれば、躊躇いもする。
だから、いずれかの時にもいずれかの地にても、それぞれにあったように受け取れるようにと、先人の文言というのは、時に曖昧で、回りくどく、だからこそ汎用性に優れ、後の世にも受け入れられているのだろう。
詰まるところ、心の機微だとか表現の綾だとか、そういった部分に配慮することができないのが、言ってしまえば誾千代の短所であるが、では彼女の人としての魅力を損なうかと問われれば、宗茂は誓って、そう感じたことはなかった。
ただ、彼女の目から見て、自分を含めたこの世のあらゆるものは、ひどく胡乱に違いない。
その部分をして、彼女から人としての魅力を損なっていると断定されなければいいが、とは思う。
何せ目の前のこの、祝言をあげて一年も経とうというのに、未だに妻という認識すら掴めない、日頃の付き合い方からすれば、よく言って幼馴染の修行仲間といった、付き合いだけはやたらと長いこの少女を、思ったとおりに「可愛い」と伝えるにはどうしたらいいものか、そういったことすら、はきとした答えを持たない自分なのである。
そんなことをつらつら考えていた宗茂の視界のうちで、急に、何事かに思い至ったというように、誾千代はぴくん、と身じろぎした。
やっと気づいたかな、と思ったのが顔に出たのか、目が合った途端、きっと睨み上げてくる。
そういうのも、まあ、可愛いと言えば可愛い、かもしれない。
「・・・貴様、私を単純だとでもいうのか!」
時刻を気にしてか小声で、しかしぐいと近づけてきたその顔は、先ほどよりもさらに眉根を寄せた形相で、返答次第ではただでは済まさん、という意気込みがありありと伝わってくる。
何を隠そう、彼女の率直さは、実は、思わぬ瑕疵を持っている。
その素直さそのままに、自分のような胡乱な人間に、実によくからかわれてくれるのである。
我ながら人が悪いな、と思うが、誾千代相手はこれだからやめられない。
「遅い」
心からの笑顔で返してやった。
かぁぁっと顔が真っ赤にしたのと同時、愚弄するか!と落雷の如くに叫んだ誾千代の膝頭が、横になったまま宗茂のみぞおちを遠慮なく蹴れば、宗茂はすかさずそのはしたないにも程がある膝裏を捕らえて引っくり返し、負けてなるかと反対の足で人体の急所である顎を的確に狙う誾千代、そんなものはお見通しだと言わんばかりにさらりとかわす宗茂。
先ほどまでの、穏やかな雰囲気は何のその。
異国の教義が己の無力さに泣き伏しそうなその様子に呆れたか、蚊帳の裾は気だるげにひらりとひとたび翻れば、残暑の名残の濃い夜空に、未だ愛の何たるかを知る由もない子供達のはしゃぎ声がちらりと漏れた。
明朝、常のように誾千代の寝室に起床を告げに行った侍女が、もぬけの空となっている主の褥に驚愕したのと、宗茂の寝室に起床を告げに行った小姓が、体積が七割増しになっている主の褥に思わず放心したのは、ほぼ同刻だった。
そして年若い主どもが二人揃って、寝不足ゆえの盛大な欠伸を隠しもせず、「あいつが寝かせてくれなかったのがいけない」と至極平然と周囲に証言したのにいたっては、何を憚ろう、この二人は夫婦なのであって、当たり前といっては当たり前なのではあるが、しかし侍女や小姓どもがこぞって気まずい沈黙を強いられることとなり、それは実に、実に気の毒な様であったという。
-愛は決して滅びない。
-預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。(中略)
-信仰と希望と愛、この三つは、いつまでも残る。
-その中で最も大いなるものは、愛である。
(コリントの信徒への手紙・一 十三章より)
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エチャで出たネタ=「何もしてないのに寝不足で家臣に勘違いされる夫婦」。
どうでもいいですが、作中の宣教師は「太閤立志伝5」におけるアルメイダがモデルです。
アルメイダには超お世話になりました・・・(開墾ミニゲーム大好き)