さらに今書いておかないと、絶対に夏が終わっちゃうだろう自分のペースに危機感を覚えたのでした。
そして夫婦シナリオのお別れ前あたりを想定してます、と言わなければならない心苦しさよ。(自由詩)
夏至はとうに過ぎたはずだが、酉の上刻を過ぎた今も、空は暮色に染まりつつもなお夜の闇は訪れない。
そしてひたすらに、暑い。
立花山城の奥ほど、三間四方の私室で、文机に延べられた書簡を前に、宗茂はぐったりとしていた。
今年は、紛うことなく猛暑である。
先月にはやたらと雨が降ったので、旱魃の心配はなかろうというのは為政者として安堵するところではあるが、暑さによって惹起される個人的な感情は、また全く別のものである。
宗茂はどうにも、暑さが得意ではない。
より厳密に言うならば、湿気が苦手なのである。肌にまとわり付く感覚が、ひどく煩わしい。
からりと晴れた日などは、むしろ気持ちの良いとも思える。
かっとした強い日差しのうちに、心地よい風が過ぎる感覚などは、えも言えぬ爽やかさである。
だが例えば今日のように、水気をはらんだ空気が、照りつける日差しに充てられて湯気でも出しそうなこんな日は、目が覚めた時点で億劫である。
であるからして、ただでさえ煩わしい政のあれこれなど、手をつける気にもならないとて、誰が己を非難できようか。
「宗茂、何をさぼっている!」
もちろん、そんな宗茂の心の内なぞ、一向に構わず非難してくるものもいる。
この城のもう一人の主は、誰はばかることもなく、軒先から大声で一喝してきた。
いつからそこにいたのか、頑迷に照りつける夕日を遮るもののない殺風景な庭に、彼女はいた。
「元気だな、誾千代」
「貴様のだらしなさが過ぎるだけだ。何だそのなりは!」
「何といわれても」
宗茂は着流し姿だった。特に外出をする用がないのを幸いとして、煩わしい袴は省いてしまった。実際、快適である。
対する誾千代は、さすがに文句を言うだけはある、小袖の上に合着まで重ね、袴できちりと締めていた。とはいえ、襷掛けして袖をまくっているあたり、やはり暑さには辟易しているようではある。
同じ年頃の姫君であれば、やれ日に焼ける汗疹ができると必死に避けるであろう強烈な残照の下に、惜しげもなく白いしなやかな腕が晒されていた。
「火急の使いなどあったらどうする。そのなりで謁見などしようものなら、恥さらしもいいところだ」
「そうなったら、お前が応対すればいいだけだ」
「そういう根性がだらしない、と言っているのだ!」
この暑さもなんのその、日ごろの舌鋒衰えぬ誾千代が、正直羨ましい。
いや、怒鳴られるのは勘弁してほしいところではあるが、うだるような陽気のうちに一日を過ごした夕べになお、他人を叱咤する気力があるのは賞賛に値する。
さすがは筑前名物、立花山の姫城主の面目躍如といったところだろう。
「それで、用向きは?」
もはや誾千代の癖ともいうべき、自分への文句にいちいち取り合うほど、宗茂は好事家ではない。
また彼女が、文句を言うだけにここに来るほど暇でもないのも知っているので、さっさと本題に入れと促す。
すると誾千代は、ふむ、と一つ唸っただけで、さっさと話題を切り替えた。
言うべきことは言った、ということなのだろうが、先ほどの剣幕はなんだったのかという切り替えの早さは時に、彼女を相当の変わり者に見せるようだ。
共通の友人である清正などは、「話が噛みあっているのかそうでないのか、判断するのが難しいぞ、あいつ」などと言って、宗茂を大いに笑わせてくれたものである。
だがこういう竹を割ったような明快さ、何事も引きずらないすっぱりとしたところは、彼女の大いなる美徳であると、我が妻の事ながら、宗茂はひそかに評していた。
「三成から文が来たであろう。よこせ」
そしてこの直截ぶりである。いっそ心地よい。
が、残念ながら、今回はそれに免じてというわけにはいかなかった。
「ま、追々な」
「何だ、その煮え切らない返事は」
「見せないとは言っていないだろうが」
「前言を訂正する。今よこせ」
「却下だ」
「ふざけるな!」
のらりくらりとした宗茂の返答に、一度は落ち着いた誾千代の声がまた大きくなっていく。
そして、それでは飽き足らないとばかりに袴をはだけさせ、すらりとした脛やらの腿やらが覗くのも構わずに、大股に縁側に乗り上げてくる-もちろん器用にも草履は脱いである-彼女を見て取って、さあどうしたものかと、暑さで鈍った頭を回そうとした宗茂の目の前で。
すうっと、一筋の光が過ぎた。
それは右方から左方へと、ゆらり、ふらりと落ち着かなげに、宗茂の視界を横切る。
そうして誾千代の眼前を漂ったかと思えば、惑わすように、俄かに天井に向かって舞い上がる。
あ、という声を出したかどうか。
不意を突かれたのだろう。誾千代は呆けたように、その頼りない姿を追っていた。
「蛍か」
それは、いつの間に暮れたのか、紺色の広がり始めた東の空から、一匹、もう一匹と障子の陰から現れる。
立花山には澄んだ沢がいくつもあるが、比較的城に近い沢から飛来したのであろうか。
薄闇の室内を、ほつりほつりと明かりを灯しては消しながら、蛍たちは悠々と、あるいは惑いながら飛び交っている。
そういえば今年はまだ見なかったな、と思ったが、それは誾千代も同じだったようだ。
勢い込んで縁側に膝を付いた格好のまま、点いては消える光の行く先を、じっと追っている。
それはまるで獲物を狩る時の猫のようで、けれどそのひたすらな真剣さが好ましく、宗茂は誾千代を眺め、そして視界を右方の空へと移した。
東、か。
文机の上。
そこに広がるのは流麗な手による、しかしそれに似つかわしくない檄文である。
ここより遙か東の地、京の石田三成からの便り。その内容はもはや、軍令と言っても差し支えはないものだった。
-家康との大事、今この機において決する他なし。我らは軍を催し、初秋にて決戦仕る。
-立花当主の共々に、我が方への合力を願い奉り候。
共々。
口元だけで呟く。
初秋の決戦に間に合わせるとなれば、すぐさまに軍を発しなければならないだろう。
共々、ということは、三成は立花家を「二つ」の軍勢と考えているということだ。
それは、同じ戦場にあってすらも別個に軍勢を率いていた自分たちを知っている人間からすれば、当然の理論の帰結ではある。
すなわち、自分と誾千代を、別々の部隊として動かす。
ただ、立花家は武門の誉れ高いとはいえ、大勢力といえるほどの規模はない。
三成ほどの明晰な頭脳が、勢力のいたずらな分割という愚を冒すということはないので、この分断はすなわち、小規模ながら小回りの効く、遊撃隊のような役割を期待していると取ってよいだろう。
そういった動きをするには、兵の十分な練度と士気、そして率いる将の指揮能力の高さが問われる。
となれば、それだけ立花を、ひいては自分たちを信頼し、評価していることの現われだと思えば悪い気はしなかったが、しかし。
これは大きい戦になる。
おそらく日の本を二分し、後の世の趨勢すらも決めかねない、そういった戦だ。
大戦であればあるほど、自分たちは全く別の戦線に配置される可能性が高い。遊撃隊というものは、戦況にあわせて臨機応変に使うからこそ意味があるわけで、纏まって動くようなものではないからだ。
そして遊撃隊が出るような戦は、決まって激戦であることを、覚悟せねばならない。
どのような戦においても、絶対はない。
どれほど細心に注意しても、鍛錬を積んでも、神仏に祈っても、天運に叶わないことはある。
自分が死ぬとは露程も思わないが、誾千代も同じ程度に死なぬと断言できるかと言われれば、それは全く、宗茂の預かり知らぬ領域であるとしか言えないのだ。もちろん宗茂にしても、どれほどに死なぬと信じたところで、根拠はない。未来は誰にも分からないのだ。
ただ今ここで分かっているのは、そういった諸々の可能性を前に、自分たちは別々に部隊を率いて戦に赴くという、明確な形で「別れる」事実に相対しているということだ。
物心付くころには知っていた。
気が付いたら夫婦になっていた。
だからといって夫唱婦随になるというわけでもなく、全く同等のものとして、互いが互いを扱ってきた自分たちには、今更「別れる」といわれたところで、具体的な感情が沸いてこないのだといえば、薄情にすぎるだろうか。
では、どうあれば、自分たちとして正しいのだろうか。
-答えがあるなら苦労はない、か。
さて、と言いながら宗茂が膝を叩いた音で、誾千代は我に返ったらしい。
ぱちぱちと、何度も瞬きを繰り返すのも猫のようだった。
「蛍狩りとも洒落込むか」
夏の夕涼みといえば、定番である。
見れば日もすっかり落ちて、辺りは心地よい夕闇に包まれている。ゆっくりと明滅する灯火は、先ほどよりもずっとはっきりと、その姿を二人の間に見せていた。
「どうする、誾千代」
誾千代は一瞬、む、と言葉に詰まったが、すぐに行動を決した。さすがの切り返しだった。
「半刻待て、支度をしてくる。貴様もなりを正しておけ」
曰く、立花は武のみに生きるものではない、風流も解する。互いにこのような格好では無粋の謗りを免れん、という。
それなりに共に過ごしてきた宗茂を相手に、それでも一々こういう類の理由をつける誾千代が可笑しくて、宗茂は一人、心の中で笑った。
支度に戻る誾千代の足音を遠くに聞きながら、宗茂はふと、来年もまた、こんな風に何気なく、誾千代と共に蛍を見れればいいなと思った。
それは全く、明日はちょっとでも雨が降ればいいなという程度の、気安く他愛のない願いだ。
もしかしたら、自分たちにとってはこのあたりが、ちょうどいい別れの仕方かもしれない。
湿っぽくも仰々しくもなく、ただちょっと外の空気を吸ってくる、そのくらいの気軽さ。
夫婦でいて積年の喧嘩仲間のような、兄妹のようでいて同輩のような、頼りない、おかしな線引きで保たれる自分たちには、世の形に倣った感慨など、土台、持ち合わせていないのだし。
どの道、互いにとっての互いにどんな意味があるのかすら、今の宗茂には悉皆、分かりはしないのだ。
分かったところで、秋になれば三成は戦をするし、自分たちは二手に別れて行軍する。
その事実は、変わらない。
それにしても、この暑い夏は、いつまで続くのだろう。
蛍どもは何を指し示すでも、どこに向かうでもなく、ただゆらり、ふらりと落ち着かなげに、空に舞うばかりだ。
------------------------------------------------------------------------------------------------
酉の上刻=18時~19時。
候文なんて実は全然分からないんですが、ふいんきで…っていう・・・