ぎんちゃんお誕生日記念小噺です。
…という一文を書きたいがために、あらゆる手を尽くした形跡がありすぎる。
そして、イチャイチャ!(※当社比)イチャイチャ!(※当社比)…という呪文を呟き続けたのは果たして功を奏したのか、何とも難しい感じになりました。イ、イチャイ チャ…(小声)
そしてタイトルの文法が間違っていないかどうかを確かめるために、○年ぶりに古文資料集を探してしまいました。形容詞ク活用とか忘れてるにきまっておろうが馬鹿め!
「私が生まれた夜は」
と言って、誾千代は少し優しい目になった。
それは見事な満月だったと、父上はよく語って下さった。
胸を張って誇らしげに、嬉しそうにな。
互いの居室のどちらでもない、ここは立花山城の接見の間。
はや亥の刻にもなろうというこんな夜更けに、城主が二人して並んで杯を重ねているのは他でもない、ここが一番、月見に適しているからだ。立花山の豊かな稜線より僅か上、ようよう西に傾くかという見事な満月が、何ものの障りもなく目の前にあった。
二人きりで占めるには少し広すぎる空間だったが、冴え冴えとした月光は、せせこましい場にはそぐわない。ほんの少し心細くなるような寂しさが、こんな夜には必要だ。
そんな空気に誘われたものか、はたまた酒精が懐かしい思い出の綾糸を掴んだか、珍しく誾千代は感傷的な話をし始めた。元より多情な女であるから、どこか頼りなげなこの季節特有の雰囲気に、つい絆されたのかもしれなかった。
付き合いが浅い人間には勘違いされがちだが、彼女は決して無神経でもなければ無粋でもない。ただ口調がいかにも尊大なのと、他人の気を忖度するという機能が全体に欠けていて、それが決定的に修復不可能なだけである。
互いを知る友人に言わせれば、それは十分な問題点だろうということなのだが、宗茂はもう慣れきってしまっていたので、そんなものかな、と大した感慨もなく聞き流した。
誾千代が空気を読まないのは決まって彼女が興味のないことだけで、本人が真っ向から受け止めている事柄には誰よりも真摯で真面目で、多情だ。敢然と意を出張しては怒ったり、落ち込んだかと思えば童のように喜んだりと、ややもすれば感情に乏しく思われる口調に彩られた毎日は、実際忙しいくらいだった。
「ほう、義父上が」
もう七分がたは空いただろうか、随分と軽くなった徳利を引き寄せて、彼女の言葉を拾う。世の夫婦はどうかしらないが、自分達の酒盛りは、大抵手酌同士である。その方が互いに気楽なので、いつとも知らずそういうことになっていた。
「別に、私の手柄ではないのだがな」
傾けた杯からするりと唇を離して一息、誾千代の頬は柔らかく緩む。
他人にも自分にも厳しい彼女が、常に手放しで賞賛し惜しみない愛情を傾けるのは、この立花山城にその人ある限り、もののふの忠節揺るぐことあるまじとまで言われた父親くらいだ。
曲がりなりにも夫であるところの宗茂としては、傾けられる情愛の質、量ともに、比較するとなかなか肩身が狭い現状ではあったが、その父が年老いてからの一粒種であった彼女は、同じくらいその父に溺愛されて育ったから、至極当然の結果なのだろう。そして確かに、そういう思いを抱かせるだけの、素晴らしい人物であったのだ、義父という人は。
誾千代が生まれたという日。
聞けばその日は暦では、奇しくも中秋の名月である。
宗茂には決して知る途はないが、それでもあの謹厳で鳴らした義父がわざわざ口にするくらいだ。彼女生まれたという夜もきっと、今にも負けないほどの名月であったのだろう。
誾千代が生まれた日、か。
宗茂は弟妹たちの出産の折の、それも齧り程度の知識でしか聞いたことしかなかったが、とかく気が逸って仕方ないものだと、実父が何ともいえない、どこか優しい苦笑を交じえて話していたのを思い出す。
せわしなく走る侍女たち、産婆のひっきりなしの激励、もしかしたらどこかで祈祷師たちが護摩を焚いていたかもしれない、そうして誰もがそぞろに行き交う、常にない喧騒に支配された月夜の屋敷。
驍将として声を限りに称えられた、しかし人の父としては随分と遅咲きになったあの義父は、そんな逸る気持ち、大きな大きな期待と、付きまとっては離れない不安とをない交ぜにして煌々とした夜空を振り仰いだことだろう。
やがて誾千代の産声を聞いた義父の、その胸に過ぎたであろうあれこれの感傷を思い描こうとしたところで、そこはさすがにおこがましいというか、夢枕で説教をされてはたまらないので、それ以上は考えるのを止めにした。
さだめて、「立花の家督譲渡についての経緯とそれに関する大局的所見、及びいわゆる親馬鹿との相違点」を聞かされるのであろう。思い描くだけで、なかなかにぞっとしない。
しかし、もし本当に夢であれこれ尋ねることができるのなら、聞きたい事は山ほどあるのだ。
政のこと、軍学のことなど、言い出したらきりがない。しかし敢えてであればどうせなら、かつて教え込まれたそれらよりも、ついぞ聞きそびれた、ごくごく個人的な些事を聞いてみたかった。
例えば、娘の生まれた夜のこと。
例えば、娘の婿選びの目利きのこと。その、結果について。
「…ああ、酔ってるな」
多少無作法かとも思いつつ、まあ相手は誾千代だけであるしと、すでに干していた杯を放り出し、ごろりと仰向けになる。視界がぐるんと回れば月は俄かに姿を隠して、そこにあるのは日頃よりすいぶんと青白く浮かび上がる檜作りの梁と天井ばかりだ。
口に出たのは益体もない思考に占められていた自分に対する感想だったが、誾千代はどうやら、彼女への批判だととったらしい。
「酔ってなぞない」
先ほどより少し遠いところから、むすりとした声がした。ただやはり素面とまではいかないようで、常とは違う、やや胡乱な口調だった。
この姿勢では完全に死角だが、おそらく眉間に力を入れて、精一杯の努力でこちらを睨んでいることだろう。普段なら揚げ足をとってからかってやるところだが、今はいい。そんな気分だ。
「いや、俺が」
だからそう言って、素直に糾してやる。
すると、今度はほうとか何とかそんな声がする。何がほうなのだろうかと宗茂が思った丁度その時、急に視界が暗くなると同時に、ぐっと腰から胸のあたりに、俄かにしっかりとした重みが圧し掛かってきた。
…お前は猫か。
そう宗茂が思っても口にしないのをいいことに、遠慮も断りも一切なしに乗りあがってきた誾千代は、瞼をうっすらと閉じ、くん、と鼻先で、宗茂の喉元を嗅ぐような仕草をする。…やはり、ただの猫かもしれない。
「そのようだ」
二、三度鼻を鳴らして満足したのか、誾千代がふんと言い放つ。それがまたあまりにしらっとしているものだから小憎たらしくなって、宗茂はその小さく上を向いた鼻先に向けて、はぁっと息を吐きかけた。
途端に目の前に広がる、きつい酒精の香り。
「こら、宗茂!」
ぎゅうと顔をしかめて逃げをうった誾千代に、宗茂は声を出して笑った。
それはもう遠慮なく笑いながら、左腕をぐいと持ち上げて己の上に寝そべる彼女の腰を抱えるついでに右腕も添えて、完全に囲ってやる。急拵えの罠にひっかかった誾千代はじたばたともがいたが、なに、酔ったいたずら猫程度、義父ほどとはいかなくとも鎮西剛勇一と称えられた己に敵うものか。
「酔っているな、誾千代も」
「酔ってなぞない!」
全く、せっかく人がしみじみと話してやったところを。
胸の上でぼそぼそと文句を垂れるのは、酔っ払いにかこつけた都合の良さで無視を決め込んで、そうして笑い声が尽きて繰言が終わった頃合、首を僅かに上げれば、鮮やかな満月の逆光に縁取られ、小さく口を尖らせる誾千代の姿がある。
「誾千代」
何故だか訳もなく愛しくなって、戯れに呼んでみれば、答える代りに小さく首を傾げるのがおかしい。
合わせてちょっと傾けてやると目を細めて面白がる仕草も、びっくりするほどに幼稚だ。立花の当主としての顔も、兵卒を率いる将としての顔も、それこそ先ほどの、静かに父を偲ぶ臈たけた顔すらそこにはなくて、ただ腹を満たして酒に酔って、ついでに馴れた相手と馬鹿のようにふざけ合う、ただそれだけの少女の顔があるだけだ。
まったく随分な変わりようではあるが、それを当たり前のように混在させて平然としているのが誾千代という生き物で、それこそ怒ったり喜んだり、泣きそうになったり笑ったりと日々慌しいが、合わせる自分も、これでなかなか忙しい。
そして、ふと思う。
そんな風にして誾千代は、どんな時どんな場面であろうとも、騒がしかろうと、頼もしかろうと、面倒だろうと可愛かろうと、いつも宗茂の日々の中に立ち現れてくる。何ということもない日々の端々に、その風景の最中に、傍らに。
その一つ一つは、例えば素晴らしい満月だったという、彼女がこの世に生まれたその瞬間とか、そういったあまりに特別なものには、どうやっても敵わないかもしれない。
けれど、誰かにとっての輝かしいものがいつも、誰にとっても劇的である必要など、どこにもない。彼女が生まれた夜が義父にとって特別であったのならば、こうして今、ただ彼女と過ごすだけ夜はまた、自分にとっての特別でいいはずなのだ。
月が満ち欠けもすれば曇りもし、却って姿が見えない日にこそ一段の趣を見せるように、それらを評する言葉が人によって千差万別であるように。
冴え渡る名月の下で生まれたというこの希代の変わり者と過ごすのは、とかく振り回しも振り回されもするが、誓って退屈はしない。きっと自分は彼女とともに過ぎていく日々の交々に、何がしかの価値を見出しているのだ。
してみればそれは、宗茂にとってはだいたい、幸せという言葉と同義なのだった。
「そうだな」
一人で勝手に納得した末の己の呟きに、誾千代はまた小首を傾げる。今度ははしはしと瞬くたびに揺れる睫が面白くて、今ひとたび笑い、そして呟く。
わざわざ呼びかけるほどに強くもなく、けれど口の中だけに留めるのを惜しむような、我ながら半端な声だった。
「生まれてきてくれてありがとう」
お前が生まれてくれたから、俺の人生は多分、少しばかり得をした。
そしてもう僅か首を伸ばし、小さい音を立てて、唇を吸った。
(君あればこそ、何ということない、ただそこにあるだけの、その素晴らしく特別な日々。)