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ずっと書いてみたかった、「蟲師」の同名タイトル話のパロ。
このお話(というか「蟲師」という作品自体)が大変好きなのですが、そういうもののパロを書こうと思うと全然違う話になってしまう不思議。おぉぉ・・・
「蟲師」は世界観・ストーリー・絵のどれをとっても素晴らしい(恐ろしいことにアニメも素晴らしい)のですが、何よりタイトルの魅力が抜群だと思います。日本語の想像力ってすごい。

※史実要素がかなり強いのでご注意下さい。


四年ほど前に隠居した大殿が、ついに耄碌されたというのは、江戸の立花家の下屋敷では有名な話だった。
江戸詰めの藩士も下働きの者たちも、声に出しては言わないが、あれだけの方でも年を取るとそうなるものかと、皆が嘆息したものである。
何ゆえそのように囁かれるようになったかといえば、もう三月ほど前からだろうか、おかしな振る舞いを始めたからだ。

最初にそれに気がついたのは、側仕えの小姓だった。
気持ちの良い秋晴れのその日、常のように文机を縁側に寄せて句を捻っていた老人に、小姓が茶を出した時のことだ。
―もう一服、用意してくれないか。
しっかりとした声で大殿は、そう頼んだそうだ。
てっきり二杯目を所望しているのだと思った小姓が、ではもう少し大きな椀に淹れてまいりましょうかと問うた。すると大殿は不思議そうな顔をして小姓を見やり、
―いや、誾千代の分がないと思ってな。
と、答えたのだという。

その日以来、大殿は奇矯な振る舞いを見せるようになった。
何もない空に向かって声をかけ、会話をする。
声はひどく明朗で、受け答えもしっかりしているのだが、そこに誰がいるわけでもない。
時には、最近は側の者たちが勧めても箸を取らない日があるほどに食が細くなっていたにも関わらず、膳を二人分用意させたりもした。
言われた通りに膳を運ぶと、向かい合うように並べさせて、二人で食事をとるのは久しぶりだと、照れたように微笑むのだという。
思い余った者たちが理由を問えば、返ってくる答えにあるのは、決まって一人の女性の名であった。
―誾千代が。誾千代の。
江戸屋敷のものたちにとって、それはひどく耳馴染みのない名前だった。
四十年ほども昔に亡くなった、この隠居の妻であった人だということは、誰も知識としては知っていたが、実際に顔を見たことがあるものはいなかった。
そして彼自身、このようなことになるまでは、ほとんどその名を口にしたことはなかったからだった。
人は老いるとかつての時のうちに帰るものだというが、それにしてもあまりに唐突に、かつ劇的なその変化に、周囲の者達は慄然とし、そして誰も口にはしなかったが、漠然とその死期を予感した。

と同時に、屋敷の中で、奇妙な噂が広まりだした。
見覚えのない年若い女が、ふいに現れては消えるのだという。
年恰好は二十歳かそこらの背の高い女で、短く切りそろえた髪を隠そうともせずに、決まって少々古めかしい、しかし小奇麗な綾織の小袖姿で現れるのだそうだ。
不思議なことに、正面からその姿を見た者はおらず、背筋の通った美しい後姿や、翻る小袖の鮮やかさに目を奪われているうちに、ふっとその形が掻き消えてしまうのであった。
またその女が目撃されるのが、決まって屋敷の最奥、大殿の隠居部屋の方角であったものだから、他家の間者かと神経を尖らす生真面目な藩士などはそれとして、信心深い者などは、すわ人心を惑わす物の怪か憑き神かと言い出す始末であった。

ある日、勇気ある藩士が直接、大殿を問いただしにいった。
燦々と日の光が舞い降りる縁側で、やはり誰もいない、すっかり冷めた茶碗を相手に語り続ける老将の姿に涙をこらえながら、その藩士は打ち首を覚悟で、恐れながら、と平伏しながら言上した。

―恐れながら、某には、大殿の他にはどなたもいらっしゃるようには見えませぬ。家臣たちには不安を覚え、何やら定かならぬ噂を吹聴する輩もおりまする。どうぞ、どうぞお気を確かになされませ。

すると、烈火のごとくに怒るであろうというその藩士の予想に反した柔らかな声音で、老人はこう語ったのだという。

―このような晴れの日には、空に星は見えぬ。されど星は常に空にあり、ただ我らの目がそれを捉えられないだけのこと。
―誾千代はずっと、ここにいた。
―私が長い間、そのことを知らなかっただけなのだ。
―今になってようやく、気がついた。すまなかったと謝ったのに、遅いと叱られてしまったよ。

そして、これはその藩士が語るだけのことではあるが、平伏しながらわずかに上げた視界には、確かに平織りの紫も鮮やかな小袖から覗く、美しい白い手が見えたのだという。


立花宗茂という名の大殿が亡くなる、二ヶ月ほど前の話である。
女の噂は、今では聞かない。

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このお話は凄い勢いでハッピーエンドなのに、悪い癖が出た感じです。
「海境より」も夫婦でやりたいなーと思ったんですが、よりツライ感じにしかならないということに気がつきました。
放っておくとほの暗い方向に向かうサイト傾向ですいません・・・orz

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