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すっかり桜の季節も過ぎてしまいましたが、そんな小噺です。
尊敬する絵師はりこ様の、素敵すぎる立花絵を見たらいてもたってもいられず、つい・・・!(自白)
はりこ様には、快く掲載の許可を頂きまして、この場にて恐縮ですが、厚く御礼申し上げます。

 



「宗茂、もっと高くだ」
「これで精一杯なんだが」
「何だ、使えぬな」
誾千代は何とも素っ気ない声色で、ふん、と鼻を鳴らしたが、それきりこちらに興味を無くしたようだ。
視線の先には、見事な山桜。
誾千代曰く、将軍家がこの地にて再起を誓った時分以来の、由緒ある古木だそうだ。

立花山は、比較的温暖で豊かな土地柄ゆえか、様々な木々が植生している。
つい先ごろまでは冬枯れの枝も寂しい風情であったが、随分と温かくなった気候に誘われて、次々と芽吹いてゆく色彩の多様さに、宗茂は我知らず感嘆する。
この地より内陸にある己の郷は、いま少し、色味に乏しいものであったから、醒めるような春の彩りが目に眩しい。
何といっても、この地で迎える春はまだ三度目だ。
腕の中で、悠然と天を仰ぐこの少女と夫婦になって、まだ三年。

今誾千代は、宗茂の腕に抱えられ―というよりは、乗り上げて、という方が正しい―、山桜の巨木を見上げている。
あまりにも大きい木であるゆえに、その見事な花弁をつける枝は地面より遠い。
宗茂はそれでも十分に鑑賞に堪えうると思うのだが、彼女はどうも、そう思ってはいないようだった。
(餓鬼だな)
抱え上げろ、と両腕を差し出されたときは、一体何のことだと訝しがった。
しかし、このまま得意の癇癪を起こされても面倒だったので、ともかく言われた通り、まるで童にするように、彼女を抱え上げた。
宗茂の組んだ両腕に腰を乗せ、肩に手をかけるような格好になると、誾千代は満足そうに小さく頷き、それきりである。
同じ年頃の女性であれば、何とはしたないと卒倒してしまうような格好であるが、それが至って平気なのが、誾千代という人だった。
そしてまた、宗茂も慣れたものである。
驚くほど大人びた振る舞いをするかと思えば、こんな子供じみたことも真顔でやってのける彼女は、思うようにさせるのが一番なのだということを誰より知っていたから、取り立てて言葉を挟むこともない。
そういう意味で、幾分かは夫婦らしい何かになってきたのかもしれない。
宗茂は小さく笑ったが、誾千代の耳にはもちろん、届かなかっただろう。

先ほどから誾千代は、桜を仰ぎ見るばかりである。
腕を伸ばして枝を手折ろうとすることもなく、花に触れようというわけでもなく、ただ真っ直ぐに、仰ぐ。
迷いの無い力強い輝きは、この山の頂から臨む、玄界灘の広大な煌きに良く似ていた。
遥か遠くまで揺るぐことのない深い青、そこにある意思と誇りに彩られた、雄大な輝き。彼女に宿るその光は、この地の主として生まれた者の矜持そのもののようだ。
宗茂の目に映るそれは、雷神と呼ばれ畏怖される男の次代を担うものとして、いかにも相応しいものにも思えたし、十四の少女が宿すには、少々大仰にすぎるもののようにも思えた。
しかしそれは紛れもなく、立花誾千代という女性の、他には代えがたい魅力の根源だった。

「決めたぞ」
ふいに、誾千代は言った。相変わらず、宗茂を一瞥もしない。
「何をだ」
宗茂もまた、振り向きもしない誾千代の小さな頤を見ながら尋ねる。
「甲冑の色だ。匠が持ち込んだ鋼に、ちょうど、このような色のものがあった。それにしよう」
すいと腕を伸ばし、人差し指で指し示す。そうして伸びる一本のしなやかな線の、その芯の通った美しさ。
その先にあるものは、淡く色づく数多の花弁のうちでも、一際華やかな色だ。

宗茂はその色のを身に纏い、戦場を迅雷のごとくに駆ける誾千代を想像する。
誰よりも速く、誰よりも果敢に戦場を駆ける花。光に透けて美しく、凛然として誇り高く咲くだろう。

「…誾千代は、花見に来ても戦のことばかりだな」
「当然だ。暢気な貴様とは違う」
「それはすまなかった」
我ながら、ちっともすまないと思っていない声で返事をしたら、誾千代にもすまないと思ってから言え、と怒られたので、宗茂は笑った。
何がおかしい、と生真面目に返してくる誾千代がまたおかしくて、宗茂は何度も何度も彼女を抱えなおしながら笑った。

風にそよぐ古木の下で、そうして二人、他愛なく戯れた。
穏やかな春の一日だった。

 

「見事な色合いでございますね」
そう言って、匠は嘆息した。
その甲冑は、幾たびもの死線を越えてきた証ともいえる、大小様々な傷を所々に残すとはいえ、白銀の潔癖にも見える白さの中に、どこか淡い色合いを加えた、稀有な輝きを放っていた。
形状もまた珍しい、女性のために作られたものだ。武骨な堅さや重厚さとともに、どこか柔らかな線がある。
「鋼の質が珍しいものだそうだ。本人も、気に入っていた」
宗茂の視線の先には、あの日と変わらず、山桜がある。
といっても、それは懐かしいかの山の古木ではない。江戸の屋敷の中庭に植わっているのは、庭師が近くの里山からわざわざ持ってきたものだ。
華奢ではあったが、それでも毎年花をつけるので、近習の者達からは、随分と評判が良かった。今はちょうどその盛りで、春のうららかな日差しのなかで、悠々と花弁を揺らしていた。
「本当に、よろしいので?」
依頼したこちらよりも残念がるような匠の声色に苦笑しながら、宗茂は頷いた。
「ああ、頼む」
誾千代の遺品である甲冑を、鋳溶かして笄にしようとなぜ思ったのか、宗茂にもはっきりとした理由があるわけではない。
しかし、長きに渡った戦乱の世の終わりを見届けたのち、初めて訪れた春の日に、ふとあの日のことを思い出したのだ。
麗らかな春の日に、甲冑を作ろうと言った少女を。

この太平の世の元であれば、彼女は桜を見て、やはりその色の甲冑を作ろうと言ったのだろうか。
戦のない世でも、なお。
もしかすれば、打掛の一つも、作ろうと言ったのだろうか。

―それは、誰にも分からない。

分からなかったが、きっとそれも似合ったのだろう、と宗茂は思う。
彼女の短く切りそろえた髪に笄を挿してやることを思い描きながら、庭先の山桜を眺めやる。
花はそよと吹く風に頷くように、いつの世にも変わらず、淡く揺れた。


宗茂の腕は今も、誾千代の心地よい重みを覚えている。


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桜色に衣は深く染めて着む  花の散りなむ のちの形見に (紀有朋/古今和歌集)

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