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立花初小噺。某所にて公開したのを転載。
今日の鎮西のイケメンかわいそう祭りはじまるよー!

※史実色がとても強い=捏造甚だしいです
※死にネタです
※イケメンが老けてます

以上の要素ありでもおk!と言う方はよろしければお進み下さい
 



柳川の居館は、もっぱら居心地が良い。
そうなるべく作ったからであるので、実際当たり前ではあるのだが。
ここを造作した若い頃の自分に、宗茂はいつでも感状をしたためたくなる。

特にこんな、初夏ののどかさを一番に満喫できる午後などは素晴らしい。
さすがに遠州造とはいかないが、こじんまりとしつつも手入れのゆきとどいた庭を、何をするでもなく眺める贅沢さ。
たっぷりと張られた池の水が、そよ風に煽られて涼やかに波を立てる様などは、それを追うだけで日が落ちる。

いい時代になった。忌憚なくそう思う。
戦の合間に生活があった、そういう自分の育った時代に引き比べ、世情はずいぶんと落ち着いた。
戦という、言い換えれば膨大な死が起きないーその原因が何をかいわんやというところだがー世は、まだ手探りというところではあるが、出来るだけ長く続けばいいと、他人事のように思うほどには気に入っている。
地震や日照りといった天災もひところに比べればなりを潜め、市井の暮らしも安定しはじめているというのも、為政者としての実感だ。これを喜ばない領主がどこにいようか。
おかげでようやく、頭に白いものが少し混じりはじめた年になって、こんなわずかばかりの安穏を得た。
まったく、あの頃には思いもよらなかったものである。

あの頃。
自分が老けたなと実感するは、こうしてなんでもない拍子に、昔を思い出すことだ。
幼い自分の頭を撫ぜる父の、大きく厳つい手の平の感触。
死に近い老いた体で、しかし出陣に際して莞爾と笑った、偉大なる義理の父の声。
父の仇であると同時に、無二の戦友となった男の、豪壮な背中。
そういったものたちが、友の、部下の、名もない民の顔かたちとともに穏やかな闇となり、宗茂の瞼の裏に住み着いてから、しばらくが経つ。
そしてその闇は時折、驚くほど鮮やかな、一つのかたちを描きだす。

誾千代。
随分と前に死に別れた、妻。

全く都合のいいことに、常に死に別れた時分の姿で現れる誾千代は、年若く凛として美しい。
しかし立ち現れるその姿は、男顔負けの具足に身を包み、父から譲り受けられた剣を片時も離さず、心地よい緊張感をぴりりとまとわせる、見事な戦支度なのである。
名家の姫君には到底似つかわしくない、しかしそれがまた蓋し当然といった風に似合う、誾千代はそういった、実に珍しい類の女だった。
彼女のそうした厳然とした佇まいを、鎮西一の烈婦よさすがは雷神の娘よと周囲は畏れも揶揄もしたが、だからこそ宗茂は彼女の振る舞いその全てに、全幅の信頼を置いたものだ。
戦場で離れても、不安を感じることなど一度もなかった。
誾千代の鮮やかな剣筋は、自分のものとはまた違った見事さで、常に己と周囲を奮い立たせた。
窮地に追い込まれようものなら、互いで互いに激を飛ばし、肩を叩き合った。

それゆえに、夫婦であったのだというと、今ひとつ言葉が足りない。

夫婦というには、おそらく互いに近すぎた。さりとて兄妹というほど同じくもなく、同志というには他人でもなかった。
自分達は自分達という名の関係でしかなく、それを表すべき言葉が、世にはなかったのだ。
詮索好きな者がどうこうとはやし立てるのは知っていたが、所詮人の言うことだ。すこしも気に留めなかった。

ただ、平穏な世を迎えた今になって、少しばかり思うこともあるのだ。

「なあ、誾千代」
そう口に出して、目を閉じる。
日の残照がちかちかと明滅し、広がって、また去ったのちの闇の中。
すらりとした長身を具足に包み、剣を傍らに横たえた誾千代は、まるで自分も庭を眺めていたかのように、宗茂に背を向けて佇んでいた。
そういえば、この居館を造作した時、彼女はまだ存命だった。長く、過ごすことはかなわなかったが。そんなことが頭の隅をちらりと掠めた。
珍しく宗茂が話しかけたことに、瞼の闇に住まう誾千代は興味を引かれたらしい。
聞いてやらんでもない。
どっかと腕を組んだ、およそ尊大な立ち姿のまま、口に出さずともそう言い放つがごとくに肩越しに自分を見やる、その姿があまりにも彼女らしく、宗茂は喉奥で笑いを噛み殺しつつ、続ける。
「もし、次の世で出逢ったら」
十を過ぎていくばくもなく契った自分たちにすれば、ひどく今更な話ではあるのだが。

「夫婦というものにでも、なってみようか」

戦の恐怖と、親譲りの名ばかりの地位よとの侮りを具足で跳ね除け、家を残せ皆を支えよという重責を剣で薙ぎ払い、子なきゆえの周囲の無言の落胆に耐え忍ぶ、そういうものない、ただ単純な、夫婦というもの。
友の伝やらなにやらで顔を合わせて、拙い文でも送りあって、紆余曲折しながら祝言をあげて、たわいなくも精一杯の一日を迎えて終えて、また迎えて。
ああ、お前が好きな猫でも、軒下にこっそりと飼うというのもいいな。
そうやって、蛍が飛び交う様を見て、稲穂を垂れるのを喜んで、火鉢の炭を名残惜しみながら、雪解けの音を待ちわびて、ただ共にあるだけの、ありふれた夫婦というものに。

どうだ。案外、楽しそうじゃないか。

俺たちはいつだって、どれほどの困難も乗り越えてきただろう。
きっと夫婦というものだって、どうにかこうにかやっていけるさ。
第一、世の女子には出来ないことを、ああも見事に成せたお前のことだ。
俺とただの夫婦になることなど、どれほどに容易かろう。
なあ、誾千代。

再度呼びかけられたのが意外だったのか、その内容が唐突すぎたのか。
誾千代は大きな瞳をさらに見開いて、ふっくらとした唇を戸惑いがちに二度三度、振るわせた。
さあ、何と応えるだろうか。
きっと自分は意地の悪い表情をしているのだろうな、と思った時。
ふざけるな、誰が貴様なんかと。物好きにもほどがある。
こくんと頭を右に揺らげたかと思うと、ぐっと眉を顰めながら言い捨てて、誾千代は勢いそっぽを向く。
怒るのと困るのと照れるのと、そのどれもに当てはまるような声色が、ひどく懐かしい。
まったく、器用なことをする女だ。

「まだまだだな、誾千代」
誾千代は形だけで怒るときは、必ず首を僅かに傾げる。
宗茂は何故だか覚えていたし、その真偽については全くとして疑問を持たなかった。
それは了承として受け取っておこう、俺は忘れんつもりだが、お前も一応、覚えておいていてくれ。
ああ、楽しみだな、誾千代。
宗茂はまったく一人で決めつけておいて、その痛快な余韻を惜しむように、ゆるりと目を開ける。

そこには光があり、確かな時の流れがあった。

幾ばくか感じる瞼の重みと振るえがあり、あるかないかの爽風に、池の水はさやさやと波立ち、ゆるやかにまどろむ庭がある。
当たり前に、そこに誾千代の姿はなく、闇の中に饒舌であった宗茂もまた、それきり口を噤んだ。

世はひたすらに太平に移ろい、苦しくも華やいだ戦の日々は、茫洋とした闇に霞み、ただその中に在れるだけだ。
美しい思い出といったものと長くやさしく語らいあうには、宗茂はいささか、現世に狎れていた。


日は既に傾いて久しいが、長く長く伸びて、しかし途切れぬ影法師が、夏至の近づきを告げていた。
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