無双立花夫婦の良さを一言で評するなら、「奥様運び世界選手権大会を真顔で優勝しそうな夫婦」なところだと思います。エストニアスタイルで突っ走れ!
でもエストニアスタイルは色んな意味で天国だよね。太ももとか太ももとかお尻とか太ももとか。
・・・何を言っているのだ・・・私は・・・。
(不埒です!)
稲は憤慨していた。
さすがに声には出さないものの、勢いのままに足元の雑草を蹴散らし、派手な音を立てて早足で歩く様は、どこぞの誰かに「猪姫」などと揶揄されるのも仕方ない。
稲にとっては幸いなことに、付近に人影はなく、見咎められることはなかったが。
ここ小田原に陣を敷いて、はや三月。
圧倒的な軍勢を率いての包囲線は、たとえ女子といえども、ひとりの三河武士として恥じぬようにと心身を鍛えてきた稲をして、戦場であることを忘れさせるようなものであった。
最前線から一歩離れれれば、何十万という諸国からの軍勢を当て込んだ市があちらこちらに開かれているのである。
刀鍛冶や伝馬役などはまあ分かるが、茶屋に小間物屋、見世物小屋までもが所狭しと並んでいるのだから恐れ入る。
そうして日のあるうちは、まるで京洛の喧騒の只中にあるような錯覚を覚えるほどの賑やかさであった。
だが、時刻も夜半ともなれば、そこはさすがに陣中である。
今はひっそりと静まりかえり、稲の逗留する陣-つまりは徳川軍勢の核たる右翼に位置する、本多平八郎忠勝の陣の外も例外ではなく、そよそよと靡く草の音もひそやかなものであった。
常ならそんな、穏やかな晩春の宵である。
ではなぜ、憤慨しているのかというと、
(立花様に対して、何という・・・!!)
かつてより憧憬の的である立花誾千代…というより、その夫である男の、あまりに理解不能な行動が原因であった。
事は、二刻も前に遡る。
徳川譜代の将はそれとして、あまり社交の場を得意としない父―といっても、三河の男は大概そうであるというだけであるが―が、珍しくささやかな酒宴を開いたのは、鎮西よりの二人の勇士を歓待するためだった。
夕になって急に「今宵は誉れ高い立花家御当主を、我が陣幕にて馳走つかまつる」と、いつもと変わらぬ真一文字に引き結んだ口のままに父が言い放った時、稲はまことに仰天した。
そして、歓喜した。
稲は以前より、立花家の女当主の噂は聞いていた。
戦場に立つ女武者というのは、自分自身を含めて珍しいものだが、何せ一家の長も務めているというのだから、この日の本でも極めて稀な女性である。何より、非常に腕が立つらしい。
しかも彼女の愛刀は、雷神と呼ばわれた名将・立花道雪よりの賜りものだという。
誰より父を尊敬する稲にとって、偉大なる父より受け継いだ武具を纏って自ら戦う女武者の姿は、まさにそうあれかしと願う、稲の理想そのものだった。
陣中のそんな噂を聞くたびに、稲はおぼろげな憧れのままに、いつかお目にかかりたいものだと思っていた矢先であったので、父の言葉は思いもかけない僥倖であったのだ。
問題は、その誾千代の夫という男の方である。
その男―立花宗茂とは、世情に伝え聞くとことによると、
―太閤殿下の評して曰く、若年ながらも天晴れな、西国無双の士。
なのだという。
初めてその話を耳にしたとき、稲は正直、面白くなかった。
いかにも東国無双の士と称えられる、自分一番の自慢である父を意識した名ではないか。父の比類なく輝かしい戦歴を、他の誰かに比されるというだけでも、何だか気分がよろしくない。
その上、その立花何某という男、自分と大して変わらぬ歳なのだという。子ほどに歳の違うものと並べられるというのは、一体どういう了見なのだ。
人間の器というものは年齢や外面で図れぬものだと、常に殿から諭されている稲ではあるが、それでも腑に落ちないものは落ちないのである。
(父上は、歯がゆくないのでしょうか)
うっかり聞いてしまえば最後、それこそ父から叱られそうだったので、ついぞ問うたことはなかったのだが。
さらに稲にとって複雑なことには、それが憧れの女丈夫である立花誾千代の夫君だということがある。
武者修行に明け暮れる日々を送る稲にとって、未だ男女の機微というものは未知の領域だ。
さらに言うなら、歳若い男(自分だとて歳若いというのは重々承知してはいるのだが、それとこれとは別である)というのは、いかにも心もとなく、軽薄に感じるのは、日頃は父を始めとした、壮年の男性に囲まれた生活をしている故なのだろうか。
稲の想像の中にある誾千代は、そんな男達の中にあっても一歩も引けを取らぬ強さの象徴のようでさえある稲にとって、彼女に「夫」がいるということに、妙な違和感を覚えるのであった。
もちろん、そんなことは手前勝手な感慨であって、そんなことを考えている暇があるなら客人を迎える準備をしなければならない現実を前にして、稲は一張羅の打ち掛けを慌しく用意しながら、その客人たちがどんな人間であるのか、ほんの少し想像するのが精一杯であった。
結論から言えば、宴は終始和やかに進み、稲は立花誾千代という人に骨抜きになった。
誾千代は、毅然として美しい佇まいの人であった。
稲もそれほど小さくはないのだが、それにしてもすらりとしなやかに伸びた長身を翻し、糊の効いた武家小袖を颯爽と着こなし、完璧な礼を持って父と挨拶を交わすその姿に、稲は一瞬、言葉を忘れた。
男性にはない華やかな立ち居振る舞いの中に、女性にはない力強さがあって、思い切りが良すぎるほどに短くした髪も、ちっとも粗野に見えない。むしろ、くっきりとした華のある顔立ちを、よくよく際立たせていた。
自分と同じ女子だというのに、身にまとう空気そのものがあまりにも違っていたし、同じく武具を取る女性としても、未だに女子然とした線の抜けきらない己に比べ、誾千代は一段も二段も、体つきも風格も、もののふとしての出来が上だった。
思わず凝視していると、視線を感じたのだろう、彼女が真っ直ぐに稲を見据えたままに問うた。
「本多殿の娘御であられますか」
思いがけなく向けられた言葉に、稲は慌てた。少し低い、豊かな声だった。
「は…はい!本多忠勝が娘、稲と申します!」
この席の主人である父からの紹介を待たず、勢い込んで名乗ってしまい、すかさず父に窘められてしまったのだが、誾千代は鷹揚に笑った。
「健やかで強い瞳をお持ちだ。さすがは本多殿のご息女」
そう言って微笑んだ誾千代は、例えようもなく凛々しく美しく、稲はすっかりこの美貌の武将に魅了されてしまったのである。
万事がそんな調子だったので、隣にいた夫だという男―見た目は随分と小奇麗でしっかりとした体つきで、確かに見栄えは大層良いものではあったが―に、稲が碌な印象を持たなかったのは、言を待たない。
同席を許されたからと、ちゃっかりと誾千代の横を陣取った稲は、誾千代が語る一言一言を多分な集中力でもって聞き、かつその所作の一つ一つを、精一杯不躾にならないように眺めていた。
偉大なる先代に話が向いた時など、あまり存じ上げなかった己の無知に大層恥じ入ったのだが、誾千代は努めて優しく、「稲殿の後学の一助になれば」と笑いかけてくれさえした。
稲は、膳とともに供された父秘蔵の酒も手伝ってか、全身が茹で上がるような気分になったのである。
幸運だったのは、今日の父は非常に上機嫌であったので、こんな不躾で無作法な振る舞いも、酒の席ゆえの不問に処されたことだった。
そう、今日の父は、本当に機嫌が良かった。
父はかねてより、名将と名高かった立花家先代と、その盟友でやはり名将の誉れ高い高橋紹運なる人物に、いたく興味があったらしい。
稲は初めて知ったのだが、その高橋入道が、この誾千代の夫の父に当たるのだという。
彼女らにとってもまた、自慢の親であるのだろう。
男の方はどうもあまり語りたがらぬようだったので、大して詳しい話は聞けなかった。しかしそれでも、斜陽となった鎮西の大国を文字通り最期まで支えた忠義の将の物語に、父は大いに感ずるところがあったようで、堅物で鳴らしている本人には珍しく、ずいぶんと杯を重ねていた。
気がつけば、時折酔うと語りだす、殿が今川家に人質に出されていた時分の話を始めていた。
-あれはまだ、拙者が鍋之助という名の頃。
決まってその語り出しから始まる昔語りは、稲にはよく慣れたものだったから、格別感慨を持ったわけではない。
そうではなくて、それを聞く客人たちの、嬉しそうに目を細めて聞く様が、稲にはとても新鮮だったのだ。
ちらりと除き見た、誾千代の横顔。
三河の男が皆そうであるように、訥々して、大して上手くもない父の話を、それでも何か懐かしく、眩しいものを眺めるようにして聞き入る誾千代の穏やかな微笑みは、敬愛する父を、天下の誰よりも賞賛してくれているようで、稲の心を何より満たしてくれたのだった。
問題は、その後に起こった。
随分とあちらも杯が進んでいたようで、始めはほんのりと赤いかな、と思われた誾千代の頬がすっかりと上気した頃。
彼女の瞼はしばしば、下睫とくっつき始めたのを、決して人前で醜態を晒すまいとする健気さにもみえて、その様子が案外、
(お可愛らしい)
と稲が和んだ頃、件の西国無双が手際よく父に暇の挨拶をし、さっさと誾千代を急き立てて暇乞いをしたかと思ったら、まるで風のように席を辞してしまったあたりまでは、まだ良かった。
父はまたいたく感心したように、「流石は鎮西一の将、引き際も鮮やかなり」と言い、稲は稲で、もちろん未練があったが、それでもふわふわと浮かれたような心持ちのまま、しばし宴の名残に浸っていた時だった。
折りたたまれたまま、一枚の扇が目に映った。
(これ、立花様の・・・)
誾千代が腰に挿していた扇だった。色味のないかっちりとしたものだったが、隅にほんの少し紅が引いてあるのが、とても印象的だった品だ。
この宵闇とはいえ、今ならまだ追いつけるだろう。
そう思いつき、すぐ父に願い出た。未だ杯を傾けている父は、一言「夜陰に注意せよ」と言っただけで、快諾してくれた。もちろん、もう一言でも誾千代と言葉を交わせればという、いささか横着な願望などは、おくびにも出さなかった。
そうして徳川家の陣より少し離れ、鎮西諸侯の陣屋群の近くまで来て(彼らは酩酊状態の割りに足が速かった)追いつき、そこで稲は、見てしまったのである。
稲が夜目のうちに二人を見つけ出した時、彼我にはまだかなりの距離があった。弓を得意とする稲は、人よりもずっと目が良い。
ちょうど、すっかり酔いが回ったのだろう、何やら足運びが危なげな誾千代らしき人影を、夫が少し気にしたように足を止めた場面であった。
あまり大声を出すのも時刻がら憚られるので、駆けてもう少し距離を詰めたらお声をかけよう、と思ったそのときに、それは起こった。
ひょい、と音でもするような簡単さで、男が誾千代を担ぎ上げたのである。
誾千代の右腕を高く掲げ持ち、その腕を己の首に回したかと思う間に、その腕を引きつつ屈んで誾千代の膝裏をがっちりと捕らえ、そのまま立ち上がるまで、あっというまの出来事であった。
「肩を貸す」でも「背負う」でもなく、もちろん「抱き上げる」などという代物では全くない。
抱え上げられた誾千代は、抵抗するように足を小さくばたつかせたように見えたが、それもすぐに止み、身を任せるように動かなくなった。
あまりの出来事に稲が言葉を失い、呆然としているのを知る由もなく、男は悠然と、まるで米俵でも担ぐ人足のような格好のまま、闇に紛れていった。
そうしてしばらくして、取りあえず今日は帰ろう、ということにして帰途についた稲だったのだが、歩みを進めているうちに、何やら沸々と怒りが沸いてきて、そのまま冒頭にいたるのである。
(た、立花様を、あのように扱われるだなんて・・・!いくら夫とはいえ、無礼にもほどがあります!!)
稲の怒りはまだ収まらない。
いくら気の知れた相手とはいえ、女性に対してあのような扱いをするとは、粗雑にもほどがある。
しかも相手は、あの立花誾千代である。
稲からすれば、あんなにも美しく清々しく、ついでに歳相応の愛らしさまで兼ね備えている、どんな言葉を飾ってもいっかな足りないとも思う誾千代を、まるで獣の子か何かのように扱うその態度は、実に、実に許しがたい。
(せめて誾千代様には負担が少ない横抱きにされるとか・・・、そういった配慮もないなんて!)
男の、締まりのない笑顔を思い出す。
もちろん、単に微笑を絶やさないという印象があるだけで、締りがない、と断ずるほどの脂下がった代物ではないとは分かっているのだが、いざ思い起こしてみれば、それはそのまま、軽薄さの表れにも思えてくる。
それに、それに。
そんな扱いをしているくせに。
(い、いくら人目がない夜のことだからといって)
何せ陣中のことなのだから、哨戒に当たっている兵だって少なからずいるというのは、当然知っているだろうに。
呆けていた稲の視界の中で、担ぎ上げる前に一度、そして担ぎ上げた後に今一度、確かにそれとは分からないが、男は誾千代の顔に恐ろしいほど顔を近づけて、そうして恐ろしいほどに静かな沈黙が広がったのだ。
かああああ、と自分でも分かるほどに顔が上気する。
(ふ、不埒です!!!)
くちづけ、の一言さえも恥ずかしさで口の端にも乗せることも出来ない稲にとって、よりよって憧憬そのもののような女性の艶姿など、それだけでもう、羞恥に泣きむせびたくなるような光景だったのである。
稲はただただ一目散に自陣に戻り、息せき切って帰ってきた娘をどう思ったのかは知らないが、寡黙な男は僅かに眉を顰めて、ただ「精進せよ」とだけ呟いた。
あの男はあの男なりに強かに酔っていたのだろう、と稲が思い至るのは、幸いにも縁が繋がって家の行き来も増え、多少なりとも互いの人体を知った後、まだしばらくは後の事である。
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不埒です!が書けて満足でした(そこか)
作中の運び方は「ファイヤーマンズキャリー」と呼ばれるものですが、本当の酔っ払いにかましたら多分大惨事になると思うので、よい子はマネしないでね☆(無双1お市様)