BGMは上妻宏光でお願いします。元親は無双界一の男前(異論は認める)
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同じ外つ国へと通じる海でも、土佐のそれとは随分と違う。それが面白いと、元親は思う。
この立花山から見える湾の具合はおそろしく穏やかなくせに、時に灘から届く汐の強さは、土佐の広々とゆるやかな風とはまた違い、白く泡立つ波濤を派手に立てながら、はるか大陸へととどけとばかりに荒々しく吹き荒れるのだ。
しかし、それはこの山城へと届くころになると、幾分か柔らかな面を見せてくれるようになる。前髪を揺らす盛夏の風に、誘われるようにして弦を爪弾けば、軽やかな高音が一つ鳴る。
もう一つ二つと繋げれば、立ち現れるのはこの地に相応しい、かの昔語りの高名な一節。
―悲しきかな無常の春の風、忽ちに花の御姿を散らし、情けなきかな分段の荒き波、玉体を沈め奉る。
「止めんか。縁起でもない」
すかさずかけられる抗議の声に、肩を竦めながら振り返れば、誾千代がいたく不機嫌そうにこちらを睨んでいた。
曖昧な笑んで答えてやっても、眉間の皺をもう一つ増やしただけだ。
手にした草紙は読み終えてしまったのだろうが、他にすることもないのだろう、手持ち無沙汰に表紙を繰っている。
「平曲は好きだろう」
「時と場合による」
不機嫌を隠さないまま、誾千代は再び手元に視線を戻してしまう。
その姿に心から微笑ましい気持ちになって、元親もまた、櫓より眺める博多湾の絶景に目を戻した。
時はすでに夕刻に近づき、午の暑さを西方の彼方へと連れてゆくかのように落ちる日の色も、かすかな朱を帯びて、美しかった。
誾千代は、一風変わった女だ。その評は、彼女を知る者の大方から賛同を得られるであろう。
とにかく、何ごとも男顔負けなのである。というより、男そのものだ。風体に立ち居振る舞い、物言いは言うに及ばず、ものごとの好悪や日々の生活の端緒まで、おおよそ女子の好んですることとも思えないことばかりである。
そういった分かりやすい風変わりさの中に、ときおり見え隠れする誾千代の「女」が、元親は好きだ。
例えば、こうして櫓の一角に二人して座しているのも、その一端である。
今元親は国をあらかた息子に任せ、諸国を巡り歩く悠々自適な生活を送っているのだが、偶々知己であるこの女丈夫の城を訪ったところ、主人の片方は不在であるという。聞けば安芸の盟友との諸事ということだそうで、気にせず好きにやってくれ、という誾千代の言葉に甘えたのが六日前のことだ。
そして珍しいことに、船を継いで海路にて帰還する―普通は門司から陸路を越えてくるものだが、どういう風の吹き回しだろうか。しかしそこは元親の勘案することではない―との報を受けたのは、三日前になる。
元親にそれを報せた時の誾千代は驚くほどにそっけなかったが、そろそろ帆影も見えてくるかという今日の午過ぎ頃になって、途端に挙措がおかしくなった。
はっきりと、ということはない。
ただ、この城で一番に景色が良いところ、と案内されていた物見櫓で弦を爪弾いていた元親の元に、まるでこちらに付き合ってやるとも言わんばかりの態度で押しかけてくる程度にはおかしかった。
確かにここからは、玄界灘の遥か先までよく見える。つまり、その行動の意味するところなど明白にすぎるものであったが、それは意地でも言わない。元親のように櫓の柵に腰掛けて、半身を外に預けるようにすれば、もっと海の景色は近くなる。船影など、すぐにでも見つかるだろう。しかしそういうこともしない。あくまで、偶々、という体裁を取ろうとする。それが誾千代という生き物であった。
(可愛いものだ)
元親ほどの年ともなれば、こういう仕草のいちいちが、女らしい愛らしさに見えるものだ。安芸の古老は誾千代をいたく可愛がっているそうだが、まこと、むべなるかなというところである。
しかしこんないじらしい女でも、一たび戦場に立てば、誰より鮮烈な剣を振るう。軽やかな鎧に身を包んだ勇姿は、絵物語の女武者たちにも引けは取らない。
「―古今、女の武者はといえば、やはり巴か板額(はんがく)か」
そう言って、たん、と手元の撥を跳ね上げれば、ほどよい塩梅に張られた弦が、独特の硬音を響かせる。
謳うは名にしおう女丈夫の名場面、かの巴御前の晴れ姿。
―中にも巴は、色白く、髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千のつわものなり。
「巴は好かぬ」
今度もまた、不機嫌な応えが返ってくる。元親はおや、と手を止めて、再び体ごと向き直る。
「意外だ」
女だてらに武を誇る、その手の「先人」にさぞ心引かれる向きもあろうに。
率直な感想は、少しばかり誾千代の気を引いたらしく、紙を弄る手を止めて、ぱちりと大きな瞳を瞬かせながらこちらを見る。そうしてわずかに首を傾げた後、さも当然であろうとばかりに言うのである。
「結局あの女子は、木曾殿と最期を共にしなかったではないか。そこまで一緒にいながら、こと最期になって分かれようなどと、そんな事を平気で言う木曾殿も木曾殿だが、結局引いてしまう巴もどうかと思う」
心底納得がいかない、というように、少し唇を尖らせる誾千代の所作は幼く、あどけなささえ垣間見せた。
「そこまで我を張っておきながら、どうして最後まで意地を貫かなんだ」
ああ、と元親は微笑み混じりに得心した。
誾千代は、まだ知らないのだ、男女の機微というものは、時に非合理的で理屈に合わない決断を促すものだということを。
元親は男であるからして、武士の名折れという尤もらしい体面以上に、木曾殿の心中のほどがよく分かる。
簡単な話、惚れた女に無様な様を晒したくないという、つまらない、それゆえに譲れない、男の矜持なのだ。それを汲み取れる巴は、何と良い「女」であろうか。
馬鹿な男の、ささやかでしみったれた我侭を最後の最後で許した巴は、さればこそ、世の男どもに手放しに賞賛されるのであろう。
(可愛いものだ)
元親は笑った。もう夫を持って何年にもなろうという女が、まるで童女のような理屈で腹を立てるのが可笑しかった。
「何がおかしい」
憮然とした誾千代の、少し頬を膨らませているような表情がおかしくて、今度こそ元親は腹の底から笑い、そしてふと思った。
(お前は、どうするのだろうな)
もしまた乱世が訪れて、あの美丈夫が戦場で生き別れになるようなことになって、そしてあの男が誾千代だけを逃がそうとしたとして、この女はどうするのだろうか。
その頃には巴のように、男の言い分を涙を飲んで解する女になっているのだろうか。それとも変わらず子供のように、最期まで一緒だと言い張るのだろうか。
元親は一頻り想像をめぐらせて、すぐに己の問いかけの無為さに気が付いて、一人で笑った。
(どちらでも良いに、決まっている)
どちらであっても、誾千代は最期まで懸命に、男を想って生きるのだろう。行動のあれやこれやが、正真素直に出てくるかどうかは別として、この女の純情とはそういうものだということを、元親は短くない付き合いの中で知っている。
全くあの美丈夫は、こんなを女を嫁にしていることの価値を、いじらしく惚れられているということの価値を、わかっているのかいないのか。
元親はまったく呆れるような気持ちになったが、それは芸事を解さない無粋者への憤懣に似ている。
常に飄々として柔和な笑顔を絶やさない男は、何だって他より優れているように見せかけて、女の真心には不誠実だ。惚れた女に惚れられているのをいいことに、下手な手を打とうとしない計算高さは臆病さにも似ていて、元親は鼻で笑い飛ばしたくなる。
(未熟だな)
照れ隠しというほどの可愛さはない、実にしみったれた我侭だ。
そしてそんなつまらない男であっても、きっと誾千代は最期になっても求めるのだろう、半身と言って憚らない、ただ一人の男を。
(―浮世とは実に、ままならん)
こんな良い女が、他所の男のものだとは。
元親は嘆かわしいような喜ばしいような気持ちのままに、弦を弾く。主の心そのままに、高低を行きつ戻りつする音とともに口ずさむのは、美しい貞女の心栄え。
―されば西海の旅の空、舟の中の住まひまでひき具して、つひに同じ道へぞおもむかれける。
また縁起でもないものを、と誾千代が苦々しく呟くのは聞かないふりをして、元親は笑いながら三味線を鳴らし続ける。そうしてなだらかに流れる音色の間、ようよう暮色に染まる視界の端に滲んだ帆影のことは、ついぞ誾千代には言わなかった。
男心というものは、けだし厄介で、粋なもの。
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引用はそれぞれ「先帝身投げ」「木曽最期」「小宰相身投げ」(全て平家物語)より。改めて読んでみると、想像以上に身投げシーンが多かった・・・。